西川嘉廣さん
西川嘉右衛門商店会長

 
 
  ヨシ博物館とは? 
第125回

ヨシと環境フォーラム2004<その1>

2005年2月24日 菱川貞義

 東近江水環境自治協議会が主催で、毎年、1年の締めくくりに催しているフォーラムが、安土町文芸セミナリヨにおいて12月4日にありました。この「ヨシと環境フォーラム2004」は、琵琶湖流域ネットワーク、西の湖保全自治連絡協議会の共催と、滋賀県東近江地域振興局、近江八幡市、安土町の後援で行われました。

 まずは、西川会長のごあいさつです。

(西川さん)
 今日の会は、わたしども東近江水環境自治協議会が2000年にスタートしましてから、毎年12月にその年の締めとして催しているものですが、今年は「水域環境をめぐる学習活動等の成果公表支援事業」というタイトルがついていて、むずかしいと思われるかもしれませんが、ひじょうにバラエティに富んだ楽しいものになるだろうと思います。

 基調講演は、はるばる九州から駆けつけてくださった、武富勝彦さんです。佐賀県有明海のところで、ヨシを利用した農業を長年、独創的に展開されている方です。

 映像による活動報告のあと、佐賀有機農業生産者グループ「葦農会」代表の武富勝彦さんの講演がありました。武富さんは、高校教師時代、38歳のときに骨折したことがきっかけで有機農法による米作を開始。

そして、地元の有機農業グループを率いてヨシの堆肥化に取り組み、不登校や引きこもりの若者を自宅に引き取り、農作業と食を通して社会復帰させてこられました。2002年秋には、伝統食の継承や食生活の見直しを掲げるイタリアのNPOスローフード協会の審査員特別賞を受賞しておられます。

 スライドを交えた武富さんの講演は「食」に対して示唆の多い、とても興味深いものでした。

 ヨシの堆肥づくりにかんする研究もすばらしく、米や野菜づくりにおけるヨシの効能については、地元大学との協働による科学的データの紹介もありました。ヨシは農薬や肥料を与えなくてもすくすく育ちますが、ヨシを使った農法も無農薬農法に大いに役立つようです。「これは琵琶湖を勇気づけるすごい情報だぞ!」とわくわくしてしまいました。しかも、武富さんのつくられたお米は、また格段においしいのです。

(西川さん)
 次は狂言で、題名が「葭刈り男(よしかりおのこ)」といって、原作者はかの有名な木村正雄先生です。木村先生には、いままでこの会のために、「琵琶の湖」「琵琶の湖その後」という創作狂言をつくっていただきました。大変な好評を博しましたが、引き続いての新しい創作狂言です。

 公演に先立ち、木村先生の解説がありました。ここに、プログラムに記載されている「葭刈り男」のあらすじを紹介しておきます。

 本来、日本が豊葦原之国と呼ばれたように、全国至る所に葦が繁茂していた。勿論、琵琶湖の脇の「大中の湖」が縮小された「西の湖」や、淀川の河口であった「尼崎」もその例外では無く、葦原で覆われていた。

 彼らが水の浄化をしているなどとは少しも知らず、鳥や魚・小動物の住処としての価値を認めているに過ぎなかった。そのため、土地拡張の政策で、葦(葭)が繁茂していた海浜(湖畔)は、容易に取り潰されて、造成地と化してしまった。

 そんな人間主導の便宜主義からの自然破壊を止めるためにも、我々は先ず、葦(葭)の価値を再確認することから始めなければならないだろう。

 『葦刈』は世阿弥の創った有名な能の曲名でもある。世阿弥の作品よりも情緒的に創作するように努力した。

 更に、それぞれの土地で生業として行われていた労働の上澄みだけを取って、都の芸能(術)として完成させている物を、元の土地に戻して、その土地特有の文化として返還できないものか。

 愛し合っているにも拘らず、貧しいが故に別れねばならない男女。想いと熱意と工夫と努力とで、再び愛を結実させる女の努力を中心に創った。

 とりわけ、美しいヨシ笛の音色が印象的な狂言でした。
(つづく)