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大谷利男さん 住民活動促進委員会 委員長(野洲町) |
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第8回 脳は作わないと | ![]() |
2003年5月8日 畑佐 実 |
そういうことで考えていくと、言葉というのは大事にせなあかん。どうもこの言葉づかいではうまく適合しないということを見つけだしてくるとそれの反対側にある逆の視点から良い意味を見つけだすこともできる。住民活動でも“やりがい”という見返りを見つけださないといかん。この見返りは物質的な見返りではなくて、やっぱり心の見返りというのか。やったら、やっただけのことはあるなあ。という満足感が得られるようなことをやらんとあかんと思うんですよ。 ─── 一方的な奉仕ではなくて、何か得るものがあるから、活動するわけですよね。 そうですよ。人間の考え方に謙虚さが必要だろうと思うんです。横柄で自分を持ちすぎると入るものが、入ってこない。「なんやそんなことくらいわかってるわい。」なんてことを言うてると自分の意識が固まってしまってものが入らない。でも自分の言いたいことだけは言いよるわけやな。そんなことではあかんと思う。頭を柔軟にしないと。ひとつ例を出すと、大島清という大脳生理学の世界的な人がいるんですが、こういうことを言うてるんです。 “恥ずかしい”という感覚は、脳に蓋をする働きをしてしまう。脳を活動させないということを本に書いてはる。「こんなことを聞いたら恥ずかしいなあ。」「こんなことも知らんのかと思われると恥ずかしいなあ。」いわゆる“恥ずかしい”という気持ちが質問をさせないわけです。質問という行動を起こさせない。わからんでもわかったように何やらうんうん言うて通り過ぎていく。するとこれでは一生わからへん。実はそっちのほうが恥ずかしいことです。だからわからんことは、わからんことで質問したらええわけです。 例えば私が服装を気にしてるとします。「人はどんなふうに私を見ているやろ、恥ずかしいなあ。」でも誰がいちいち歩いてるおじんの服装を気にするねん。そんな人のことを気にしたってしゃあない。そうすると“恥ずかしい”ということは何やねん。自分が自分を締め付けてるだけの話なんです。こちらが意識過剰なんですよ。それが脳に蓋をするということなんです。脳は作わないと。 |
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─── 解剖学者の養老孟司さんも知る前と知った後とでは同じ人間でも“脳”が違うという意味のことをどこかで言っていました。 住民活動においても自己閉塞的に自分を閉じこめていくと活性化していかない。さっき“思い込み”の話をしたけど、“恥ずかしい”というのもひとつの思い込みみたいなものやな。そういうのが我々の行動を非常に矮小化していってる。それがひとつの活気を失っていってる。組織であってもそのような閉塞性、矮小性を取り払っていけば、もっと活気づいてくるものと違うかな。その団体はその団体でいいのであって他の団体と比較してどうとか決してそういうものではない。個人が個人としてやることをパワフルに振る舞ったらいいのです。何やら抽象的に喋っているけど、そんなことやと思う。そういうような理念の整理をしたいなと思ってます。 |
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